川上量生 vs 立花孝志 感想。あるいは知的に誠実であるということについて

すごい色々残念すぎて言いたいことがあってはてなのアカウント作りました。

 

非常に残念です。

もっとも残念だったのは、こんなにも本質というものは理解されないものか、という点です。

 

表面的に見た時、確かに川上さんにも良くない点は多かったですし、ディベートの勝者は立花さんとみなされるところまでは理解できます。

 

が、主義主張を汲み取った時、川上さんには

 

"暴露するぞ、暴露するぞ、と予告する事は脅迫になる"

"立花さんはガーシーのそれを擁護したり教唆したりしていた"

"つまりは犯罪の片棒を担いだ事にならないか?"

"公共性の高い政治家が脅迫を手段にするのは道義的に問題じゃないか?"

 

など、ごく真っ当では?と思われる一貫した主張のラインがある事は読み取れました。

 

立花さんはこの論旨に対して、

“脅迫にはならない“

“脅迫の可能性はある“

"ガーシーの擁護はしている''

"私人としてのガーシーの活動に監督責任はない“

"ガーシーの暴露は政治“

“犯罪を犯してもよい“

"道義的に問題があるかどうかは個人の判断“

“犯罪かどうかは訴訟すればわかる“

 

などなど、割と支離滅裂と言うか、枝葉において一理はあるとは言えると思いますが、一貫したラインは読み取れなかったし、申し訳ないのですが多分無いんだろうと...

 

ちょいちょい引っかかる部分があったのですが、一例をあげると最初のやり取りで

 

川上:“ガーシーのしている事に対して、立花さんは刑事的にはともかく道義的に責任がないか?“

立花:"道義的にどうかは個人の判断"

川上:"では貴方の道義は?“

 

この流れの川上さんの質問の趣旨は、"ガーシーのやっている事を貴方は道義的にどう認識しているのか?ガーシーと様々に関与してきた貴方自身の行動を道義的にどう認識しているか?"

 

という趣旨であろう事が文脈から読み取れないはずはないと思うし、コレが読み取れないのだとしたら川上さんのことを散々バカだと言ってましたがどちらかというとご自身の読解力に問題があるのでないでしょうか。

 

ここで”私の正義はNHKから国民を守る事だ“と答えたのは恐らく質問の意図を理解した上であえて無視して噛み合わない回答をしています。

 

この時点で、立花さんの目的は川上さんと話して川上さんの話を一部なり理解して自分の話も一部で良いから川上さんに理解してもらって、というような目的では無い事が見てとれます。

 

非常に残念なのは、このやり口、つまり相手の論旨を敢えて誤読して印象的に言い負かしたように見える側が勝者に見える。が、どんどん一般化してきている風潮です。

 

こんな事が上手い事が知性の証明になるという考えが常識化されようとしている事に私は同意できません。

 

目の前の対話相手の論旨を敢えて無視して、視聴者に向けてのパフォーマンスを優先する。

という行為は、「見ている側はどうせそんな事には気づかない」というのを前提にしていますよね。

コレを前提にしている側を勝者とする。

というルールに同意するなら議論とはつまりバカをたくさん騙した方の勝ちだ、というルールに同意する事になります。

 

個人的に、NHKをどうにかするべきだという立花さんの主張には同意できますが、NHK問題の解決より深刻な解決すべき社会問題は「論理的である事、相手の意見を受け入れる度量がある事、自身の過ちを認めたり正したりする知的に誠実である事」が社会的に不利になる(平たく言えば正直者が馬鹿を見ると言っていいです)事の方が問題だし、逆にここが解決すればそれ以外の問題はいずれ解決するだろうと希望を持つ事ができます。

 

別に僕は川上さんの肩を持つつもりはないです。着メロの配信とニコ動の人ですよ。

少なくとも知財系に関しては法律的にスレスレのラインをついて成功してきた人だという印象で、KADOKAWAからは逮捕者も出ている以上、別にクリーンで全て正しい人だと思ってはいないです。

 

ただあの対談で立花さんが言っている事がよくわかった。彼がなぜKADOKAWAや川上さんに対しての脅迫と捉えられるような行動を取る側に立ったのか、自身の立ち位置や行動に関してどんな正当性を持っていると考えているのか、理解できたというのは本当に意味がわからない。何も言ってないと思うんです。

 

皆さんもういい加減に自分をバカにしている人間を持ち上げるのはやめにしませんか?